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近代批評を確立した文芸評論家、小林秀雄(1902〜1983年)が、晩年の大作『本居宣長』を書き始めた直後、その構想について語った講演の未発表の音源が25日までに発見された。『本居宣長』の連載開始の年に、江戸の国学者、本居宣長の学問への姿勢を「豪傑」だったと語り、「その姿を書きたい」との強い意志を吐露している。11年にわたった晩年のライフワークの構想がうかがえる貴重な史料だ。 音源は昭和40年11月27日、国学院大学大講堂(東京・渋谷)で行われた公開学術講演会を収録したもので、同大の資料館に保管されていた。昭和20年代から温めていた『本居宣長』の連載を文芸誌『新潮』40年5月号から始めたばかりで、本居の学問に対する姿勢を学生に語っている。 講演の冒頭で、小林は静岡・伊豆で同宿した画家、梅原龍三郎が半年をかけて富士山を描いたとき、季節の変化に合わせて山頂の雪が解け、稲穂が育つなど絵も変化したことを引用。小林の連載も、「書きあがるまで分からない」と語りながらも、本居という人間を書きたいと意欲をみせた。 本居は『古事記』などの実証的研究で知られるが、4畳半の部屋で35年をかけて『古事記伝』を書いた人間、宣長の豪傑ぶりを書きたいとも述べている。 小林は、当時の学者にとって読書とは『論語』『万葉集』『源氏物語』など古典を熟読するもので、繰り返し読み、合点し、違いを知るという本への向き合い方は恋愛に似ていると指摘。こうして古典と交わり、考え、自分しか言えないことを見つけようと苦しむことが学問で、当時の「思って得る」姿勢は、現代の「事実を学んで知る」という客観的態度と大きく隔たると語った。 当時と現代との隔たりを埋めるには想像力が必要であり、想像力を働かしてどういう人間であっただろうか見るのが歴史だという『本居宣長』全編に貫かれた姿勢が、講演ですでにみてとれる。 中江藤樹や伊藤仁斎、荻生徂徠(おぎゆうそらい)ら儒学者のほか、国学の祖といわれる契沖(けいちゆう)が自殺しようとした話などにも触れており、連載開始時、本居に関するほぼすべての文献を読み込んでいた様子が分かる。宣長が和歌の学問に目を見開いたきっかけにもふれている。 資料館から音源を探し出した同大の石川則夫教授は「録音したリールを見つけたとき再生する機械をさがすのに苦労した。音源をテープにダビングし、速度を落とす方法で再生し、教え諭す口調が聞こえてきたときは感動した。学問に対する考え方を学んだ」と語る。 講演は、同大学術誌『国学院雑誌』最新号で背景を特集中。音源は4月9日発売の『小林秀雄講演』CD(新潮社)で発表される。 【関連記事】 ・ 「郷土の偉人」商標登録めぐり食い違い ・ 正岡子規の未発表句発見 自筆の選句集に収録 ・ 太宰の旧制高校時代の写真発見 あどけなさ残る柔和な表情 ・ 宮沢賢治の“新作” 生家の蔵から未発表詩の草稿発見 ・ 気分はもう時代劇、志士や新選組も見た「八坂ノ塔」 ・ スキー ・ 時効の撤廃・延長を答申=人命奪う罪に限定−法制審(時事通信) ・ <エンデバー>米ケネディ宇宙センターに帰還(毎日新聞) ・ シュトラッサー ・ 宝塚ファンのアドレス、阪急電鉄が誤送信(読売新聞)
by bocm5qgm0e
| 2010-03-02 20:15
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